いつのまにか結核闘病日記

アラサー女子の日々の記録を書くつもりがいつの間にか結核闘病日記に。

退院564日目

最近の体調

ご無沙汰しております。今年も残すところ、あと1ヶ月弱。最後の1ヶ月はあっという間に過ぎてしまうので、大切に過ごしていきたいと思います。このところ、日によっては通常の10倍ほどのアクセスをいただいたりするので、結核が流行っているのかな。風邪なども流行っているので、気をつけていきたいところです。私は結核で入院する前の年の12月から免疫力が落ちていたのかよく風邪をひいていました。月に1回くらいか…熱出したり喉痛めたりしていました。体温が低いと免疫力が下がるようなので、暖かくしてお過ごしください。(その頃は仕事が多忙すぎて、まともにご飯を食べていなかったかも。)栄養も取ってくださいね。私の最近の体調は、極めて良好。たまに、調子の悪い日もありますが休めば治る程度です。

転職活動の結果

無事に採用の連絡をいただき正社員前提の契約社員で働くことになりました。いえい。しばらくは、主婦でいようかなと思っていたところなのですがご縁があったので、挑戦してみようと思います。ザックリまとめると教育関連業界での仕事です。わお。異業種、未経験。できるかな。

影響を受けた本、来年の手帳

「人生は手帳で変わる 3週間実践ワークブック」という本を読み、中身を実践しました。画期的だった!目標を立てたりすることは好きで、今まで何回かやってきたのですが、

www.sandc-tb.net

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ただ闇雲に目標を立てるわけではなく、自分の「価値観」をベースに目標を練っていくというプロセスがわかりやすくて目から鱗でした。自分の価値観を明確化することで、幸せなはずなのになぜ満たされていないのだろう、満足がいかないのだろう?という部分の原因が解明しました。無意識の意識化。必須。大学時代にならってきたことがここで生きてくるとは。来年はいい年にするぞ。ということで、フランクリンプランナーの手帳を買いました。使うの楽しみ。わくわく。

自分のものさし

この1年は本当に色々なものに振り回されてきました。特に、義実家の価値観や田舎文化、「嫁」という価値観に振り回され、時には無気力になり、無価値感を感じ辛い時間を過ごしました。そのことで夫とも沢山の喧嘩をしました。でも、ひょんなことで、ふっと楽になりました。本当に不思議なことのなのですがとあるパワースポットを訪れた時に、「自分のものさしで物事を考えよう。」という言葉が舞い降りてきました。たとえ、義実家から「無能」扱いをされたとしてもそれは、向こうのものさしで測って「無能」であるだけで、自分がきちんとやることやっていればいいのだと。考え方が遅れている田舎では「異常」であっても、(都会では当たり前で)自分と大切な人たちがそうあって何の問題もなければそれでいいのだと。夫との価値観のすり合わせは大事だけれども、すべてがすべて義実家の価値観、田舎のものさしに合わせなくてはならないなんてことは決してないということ。はあ〜、これに気がつくまで本当に辛かった。何でこんな扱いを受けなければならないのか悩み苦しみました。これからは勝手にものさしで測ってください。Who cares.てか、人の人生にケチつけるとか暇…なんでしょうね。自分の人生楽しめばいいのに。私の人生は、私の人生、どのように歩むかは私が選ぶ。夫は大切にしたいから大切にします。でも、私より優先するものがあるのならそれはその時です。2018年は明るく、すっきりした年になりますように。

退院532日目

最近の体調

今年も残すところあと2か月となりました。ありがたいことに、定期的にこのブログを見てくださっている方がいらっしゃるみたいです。私の経験が少しでも役に立てば嬉しいです。最近の体調は可もなく不可もなくといった感じです。変な微熱も無くなりました。

転職活動

前の会社の信頼できる先輩から刺激を受けて、転職活動をしてみました。4日間の短期バイトに落ち、1社正社員内定、1社は最終選考待ちといったところです。今まで一生懸命仕事をしてきたので、面接は正直なんってことなかったです。語ることたくさん。ブラック企業でしたが、20代で本当に何にも代えがたい経験をさせてもらえたのだな、と改めて実感しました。

夫婦関係

夫とは、比較的良好な関係を築けていると思います。親関係の喧嘩を除いては。義母からの執拗な干渉と心ない言葉に私の心は傷つきまくっています。私のことをまるで、努力しない無能、無価値であるかのように表現し、直接口頭で伝えてきます。皆の前で晒し者にします。傷つけるかのように無視します。耐えがたいです。ようは、夫(彼女にとっての息子)を取られて悔しいのでしょう。私が言いなりの思うような奥さんではないから憎らしいのでしょう。だからといって、言っていいことといけないこと、していいことといけないことがあります。この方とは、もう距離を置くしかないなと思っています。この方のせいで夫婦関係に亀裂が入ることだけは避けたいです。ただ、本当にありえると思います。たまたまですが、以前お世話になった占い師さんも夫婦仲は本当に良好だったけれども、親のことで離婚したとおっしゃってました。夫のことは、心から大切に思っているので何かできることはないか手だてを考えたいです。きっと、私が我慢したらいいんでしょうけど…できること、できないことがあります。試練です。

来年の過ごし方

来年はどこで何をしているのでしょう。今のところ、夫が行くところについていく…と思っていましたが、これ以上この土地にいることはできないので私は新たな道を探しながら進んでいきたいと思っています。転職ができたら、また色々と見えてくることもあるかもしれないし。振り回されるのではなく、しっかり自分の頭で考えて道をつ打っていかないといけませんね。自分への戒めです。そして、それが振り回されてばかり、義母のいいなりになってばかりの夫に伝わることを切に願っております。

退院510日目

微熱、続く

退院510日目になります。このブログもいつまで続けるのだろう…?少なくとも2年目検診までは続けることになります。どうぞよろしくお願いします。テーマについて、最近ずっと微熱が続いています。手足が熱くて熱くて。熱を測れば37.2〜37.6℃というのがお決まりのパターン。かれこれ1か月以上?でも病院にはいきません。なぜって?

医者妻の嘆き

夫が診てくれるから…!ラッキー!って話じゃないです。むしろ逆。もっと大変な病気ばかり診ている夫は、微熱なんて大したことで騒ぐなと。そして、さて外に目を向けると引越しで夫の地元に来たからどこに夫の知り合いがいるかわからないんですよね。ここは夫の地元。地元の医学部に行った夫はそこらかしこに同期だか医局派遣だか、開業医だかがわんさかいるのです。しかも、こんな大変ローカルな地域だと「結核」って言っただけで大騒ぎなんですよね。病気自体が超レアなんです。馬鹿みたいに閉鎖的だから噂も瞬く間に広まるし。そんなことで夫に迷惑はかけられないんです。眼科に行くにも、歯医者に行くにも、内科に行くにも、婦人科に行くにも、初診ではいっぱい項目を書かされて、必ずそこには過去に大きな病気に罹患したことはありますか?という欄があって…。そんなの書けないです。だから病院には行けません。ナンテコッタ。

リアル脱出ゲーム

そんな理由もあったり、毎日の蓄積もあったり、本当うんざりしているので、一刻も早くこの国(同じ日本国と思えないくらいローカル)から脱出したい。まさに、リアル脱出ゲームです。頭使って、手がかり見つけて、ここから必ず脱出する。運転できず、地図読めず、仕事もなかったらまるで「無能」扱い。都会では運転できなくて困ったことないんだけどな。新しい土地の何がどこにあるかなんて、グーグル先生に聞けば教えてくれるからいちいち覚える必要もないと思うんだけどな。ついこの間まで華やかな業界で65歳まで働ける正社員として働いていたんだけどな。何これ。夫は1ヶ月の3分の1不在。寂しいとか、悲しいとか、そんな次元はとっくに超えてる。何度も生き辛さを訴えてるけど、聞き入れてもらえない。自分が変わらなきゃと、必死でもがいても余計苦しくなるだけ。いつか、毎日は上向きになるのかなぁ。

退院507日目

1年半検診

先日、1年半検診に行ってきました。いつも通りレントゲンを撮って問診。特に影も大きくなっておらず、異常なしとのことでした。次は半年後の4月。ちょうど結核から2年後でラスト検診になる見込み。あっという間の2年でした。

最近の毎日

新しい、そして決して都会とは言えない地方でのんびり専業主婦をやっています。正直、飽きてきた。つまらなすぎる。でも何か新しいことを始めるにもびっくりするほど仕事がない。あるにはあるけれど内容が死ぬほどつまらなそう。(前職はあまりに特殊だったので、もちろん都会にしかない)こう言う作業は嫌だけれど自分を見つめ直すのにとても良いチャンスだと思うので、将来どのようになりたいか改めて1から考え直しているところです。

かつての仕事

かつての仕事に関わるものをお客さんの立場から見てみた。素晴らしかった。辞めたことを後悔して涙が止まらなかった。選んだ道を間違えたと思った。本当に在職中は大変で、業界ならではのルールや凝り固まった人間関係にうんざりしたり、病的な人とも関わらないといけなかったり、給料もびっくりするほど安いし、何度辞めたいと思ったかわからない。ただ、そんな日々でさえ懐かしくちょっと羨ましいと思えてきた。情緒不安定だからかな。でも、もう後戻りはできない。今の夫と人生を歩むことを決めて、ついて僻地に来た。逆に言えば、一から新しいことを始めるのには絶好のチャンスかもしれない。人生楽しまないと損!久しぶりに前職で一緒だった先輩とお茶をした。その方も前職をすでに退職なさっているけど、後悔は1ミリもないとのこと。そんな風に言えるように今からの人生を前向きに生きていきたいと思う。

充実していた学生時代

考えてみれば、学生時代は本当に充実していた。誰に頼まれるわけでもないのに、死ぬほど勉強した。自分をハードな環境において追い込み、次から次へと課題をこなし、新しい考え方に影響を受け、そして更に高みを目指し続けた。普通の人から見たらちょっと変わっているメンバーで皆がやらないような破天荒なことをするのが楽しかった。ところが、いつの間にか社会で会社の一員として働くようになり「馴染む」とか「うまくやる」とかそういうことに重きをおくようになってしまった。問題なく無難にこなす、普通が一番的な考え方で冒険をしなくなってしまった。好きだった仕事も辞めたので失うものもないし、毎日がつまらないのでそろそろ、冒険をしてみようと思う。学生時代のようにちょっと変わったことを。夢中になれる何かが見つかるといいな。

退院472日目

500日目まであと少し

退院からあと1か月ほどで、500日。あっという間でした。

体調は極めて良好。病前と全く変わらず、元気に過ごしています。

未だに、このブログが一定数の方々に見ていただいているということは、

ひょっとしたら大変な日々を送っている人がいるのかもしれない…。

病状は人によってそれぞれですが、きっと大丈夫です!

元通りに戻れると思います!

引越し

夫の転勤に伴い、実家を離れて遠〜いところに引越ししました。

前回の一人暮らし→実家への引越しは、

ちょうど発病中で微熱が続いている中、体が本当に疲れやすくて、

周りの人に引越しってこんなにキツイんですね〜!!

みたいな愚痴をこぼしていました。(しかも、ケホケホっと乾いた空咳をしながら)

まさかあの時自分が結核だったとは…と後で思い返した記憶があります。

今回の引越しは、もちろん結核ではない上に、

既に済んでいる夫の住居に転がり込む?ような形だったということもあり、

全然余裕でした!笑 

微熱が続き、空咳があって、いつも以上に体が疲れやすい時には、

結核を疑って病院にかかって診てもらうことをお勧めします…!健康第一

(それでも、なかなか症状が中途半端で行きづらいのが難点なのですが…)

いつの間にか専業主婦

前の会社を結果的にあまり美しくない形で退職し、

いつの間にか専業主婦になりました。(いつの間にか専業主婦日記を始めようかな)

前の職業が、なかなか特殊な仕事で仕事がほぼ都会に限られていること、

(今の住居は都会とは言えないところです。)潰しが利かない仕事であることから、

転職活動を途中でバッサリやめました!

転職サイトがお勧めしてくる仕事が、

タクシーの配車…とか、ツアーコンダクターとかで、土地勘もないし、

ショールームの受付とか、言葉もまだよくわかってないし(←ほぼ言い訳 笑)

びっくりするぐらいお給料低いし…無理!笑

幸い夫は、働いても働かなくてもどっちでもいいよーと言ってくれているので、

お言葉に甘えて、お家のことに専念しています。

多分DINKSの今が一番貯金しやすいというので、できそうなものが

あれば始めようかな〜と思いながら失業保険の手続きをしているところです。

これから

こんな状況なので、日々の生活にゆとりが出てき始めたので、

少しづつ結核中にまとめたかった内容など、綴っていけたらなと思います。

だんだん記憶が薄れつつありますが…汗

誰かの役に立つことを願っています!

退院430日目

職場復帰1年記念

記念すべき1年記念。今日会社休みました。職場ストレス耐えきれず、初の心療内科で「ストレス障害」との診断。安定剤を2つ処方されました。そして、心理士さんになんかよくわからない嫌なフラッシュバックやトラウマが和らぐ?トントンする治療をしてもらいました。とりあえず、薬をもらえたので心穏やかに過ごせらいいな。とりあえず、ピンチの時にはこれを飲めばいいのでホッとしています。

 

原因

猛攻撃してくる先輩と、故意に勝手な判断をして私が困ってる様子を見て喜ぶ後輩が同時に降りかかってきた為。上司に2回相談してもとりあってもらえなかった為。キツー

 

泣きすぎの頭痛

ご飯を食べながら涙が止まらなくなったり、攻撃的な先輩に呼び出されてマシンガンのように責め立てられ涙が止まらなくなったりで本当によく泣きました。なんだこれ、それで決まってその後に襲いかかる激痛。頭痛薬必携。

 

うつじゃないんだ?

正直な感想です。あ、あたし違うんだ。うつの人はもっとキツイのか。大変だな。あたしの唯一の取り柄が、素早くSOSを出せる事。うたれ弱いだけって事ですね。こんな人間ですみません。きっとうつの人は涙も出ないくらい深刻なんだろうな。泣けるだけマシなのか。

 

これから

退職が決まってて本当によかった。ゴールがないともう頑張れないところだった。恐ろしい人からは一刻も早く逃げる事。これが一番。心からさようなら。もう一生会いません。

退院409日目

1年以上経過

気がつけば、結核になってから1年以上が経過していた。結核になったのなんて、大昔の出来事…と思えるくらい平常運転である。今でも、こちらのブログを検索し見に来てくださる人がいらっしゃるので、きちんとお伝えしたい。闘病以前とほとんど何も変わらない毎日を過ごせています、ということを。

近況

変わらない毎日と言いながらも、個人的にこの一年で大きな変化があった。闘病中、私を支え励ましてくれた彼と結婚した。本当に、普通では考えられないような修羅場を結婚前に既に経験し(←彼の親の猛反対)私自身は何度も何度もくじけそうになったけれど彼の忍耐強さのおかげで乗り越えることができた。これから、といえばこれからだけれど。二人の将来がどうなっていくかが楽しみ。

体調

体調は万全。以前と全く同じ。変わらず偏頭痛には悩まされる程度。そういえば、結核になってから一度も風邪をひいていない。病気にならないように、睡眠、食事、予防など十分気をつけているからだと思う。免疫力についての勉強もかなりした。「ほとんど」何も変わらない生活のうちの唯一少し変わった部分は、体力。年齢のせいなのか、病後で落ちた体力なのかわからないけれど、以前に比べて体力は落ちた。これは今後ジム通いをしてつけていきたい。

仕事

全く変わらない、むしろ激務…だった。「だった」というのは、もう退職を決めたから。大切にしていた仕事だったし、やりがいもあったが、最後の最後で崩れた。1人の新人にメンタルをボコボコにやられて、上司に訴えたけれどそれでも一緒にいなければならなくて、本当に壊れてしまわないように神経を張りつめていたら、もともと一緒にやっていたグループのメンバーとの間に亀裂が生まれた。こうなってしまったことは本当に残念だけど、仕方の無いことです。いつかわかってもらえる日が来ると信じて…。はー、辛かった〜、地味にダメージでかかった〜。それから解放されることは本当にこの上なく幸せです。

今後のこと

予定は未定です。当面の目標は心穏やかに過ごすこと。体力をつけること。夫との結婚生活を安定させること。お料理のレパートリーを増やすこと。あと、何か新しいこと始めたいな。どこか旅に出たい。ヨーロッパとか。特にウィーンにいきたい気分。シシィにまつわるスポットを巡りたい。もうすぐ32歳になるけど、Pay it forwardの目標思ったように実行できなかったな。少なくとも残りの1ヶ月は心がけていきたい。そんな今日この頃でした。