いつのまにか結核闘病日記

アラサー女子の日々の記録を書くつもりがいつの間にか結核闘病日記に。

退院911日目 最後の通院

最後の通院

長かった。ここまで本当に色々とあった。でももうこの病院にくるのは最後かもしれない。そう思いながら、病院へ向かった。

最初の通院(回顧)

思えば初めて病院へ向かった日、公共交通機関を使うなと言われたがうちには車がないので仕方なくタクシーで向かうことになった。(タクシーの運転手さんもさぞかしびっくりしただろう。)前日に市役所の保健課の人がうちにこられた際に持ってこられた普通のマスクではない鳥のくちばしのような立体的で立派な形の専用マスクをつけ、家族もつけ、タクシー運転手さんもつけ、すべての窓を全開にして20分ほどの距離を病院まで車で走った。それはそれは、雲ひとつない晴れ渡った日だった。どうして私が?なんでこんなことに?涙が止まらなくて、立派なくちばしマスクにしみて中にどんどん流れていった。マスクを取れないから拭えなかった。

診察その他

いつも通り、レントゲンを撮ってから診察へという流れだったがちょうど妊活中で妊娠の可能性がゼロではないということを伝えると、結核の症状がなければ無理に取ることはないとレントゲンを撮らずに終わった。直接診察で、胸の音を聞いてもらい特に変わったことがないか聞かれ、これから無理な生活を送らないようにという話があり最後の通院が終わった。かれこれ2年半お世話になった先生にお礼を言った。もう来ることはないんだな、と思い病院の外観の写真を撮った。本当にお世話になりました。

結核になって変わったこと

結核になるまでは、すべてのことに全力を注いでいた。サボる=悪、手を抜く=悪、全く完璧な人間ではないけど完璧を求めて、仕事も相手が求める以上の成果を出せるように120%頑張ってきた。期待にはこたえなければならない!何事もきちんとしなければならない!という考えに支配されていた。けど、結核になってそれをやめた。頑張って体を壊してしまっては意味がないから。本当にやりたいことをするためには健康がなければならないから。今では何事も無理せず、相手の価値観に支配されず、心と体を健康に保つことを第一に心がけている。人生一度きり。30代前半でこのことを知れたのは何よりの収穫だったように思う。

ここまで読んでくださった全ての皆様へ

今まで読んでくださった皆様。たまたまこのページを見てくださった皆様。結核から検索してたどり着いてくださった皆様。本当にありがとうございました。皆様が読んでくださったからこそこれほどの長期間ブログを継続することができました。拙い文章ばかりで読みづらい箇所も多くありますが、結核にかかった方、またはそのご家族ならびに関係者の皆様の少しでもお役に立てれば幸いです。

これからのこと

私が他の方のブログを拝見した時に、気になって読んだのが結核の方のその後について。その後普通の生活を歩めているのか、どんな人生を送っているのか、どんな日々を過ごしているのか。なので、私もこれからのことも少しづつ記録しお伝えできたらと思います。ではまたいつか。心からありがとうございました。